女性博士、ドイツの大学で博士課程の学生になる【研究室選定編】

研究生活(仕事)

はじめに

 私は日本の電機メーカーに勤めている女性エンジニア。入社した時はまだ研究所として名前は残っていたけれど、実際の業務内容は研究というよりは製品開発が中心の部署だ。なので職業は、リサーチャーというよりエンジニアの方がしっくりくる。

 北の大学で博士課程を修了し博士号(工学)も取得した私が、ドイツの大学で博士課程の学生として研究生活をすることをこのブログに書きたいと思う。研究生活や日常生活は当然日本とは違うことも多く、その違いを自分の備忘録として残せればと思い始めた。また今後、若手の研究者やエンジニアの方がドイツや海外で研究生活を送ることになった時に、少しでもこの情報が役に立てられれば幸いだと思う。

会社の留学制度と留学先の決定まで

 私が勤めている会社では海外留学制度がある。若手社員を中心に海外の大学の研究機関で研究をし、専門的な知識を習得することはもちろんのこと、慣れない海外での生活を通して「人」としての成長も期待して毎年数人、海外へ送りこまれている。留学期間は2年。私も入社当時からこの留学制度には大変興味を持ち、入社5年目で派遣されることが決まった。

 これは自社独自の留学制度の方針なのだが、派遣先は自分で探し、会社の承諾と派遣先の大学で迎え入れがOKとなれば、無事に留学することができる。なので、派遣先の大学が決まらず、渡航が遅れることも珍しくはない。

 私の場合はというと、まず所属する部署のトップ(以下、開発部長)の方針が、自分の専門分野ではなく、製品の応用を学ぶ研究室を選定することが条件だった。自社製品がどのように使われているのかを知ること、そしてそれに適した製品を今後も開発することが重要だからだ。そしてもう一つ理由がある。それは自社の技術を大学側へ流出してしまうことを危惧しているからだ。大学での研究となると教授との打ち合わせは避けることができない。そして製品に適用されている技術はトップクラスの技術であると自負しており、むしろこちらが大学へアドバイスをするスタイルになる可能性が高い。それらの理由で専門分野での研究はすることができなかった。そのため応用分野の研究室を選定するというのは、そう容易ではなかった。

 だが幸運にも私の場合、研究室の「当て」があった。それは私より2年も前に同じく応用分野の研究をするために留学した先輩がいる研究室があったのだ。そしてその先輩は私と入れ替わりで帰ってくるので(実際は2か月弱のオーバーラップはあるが)、研究室に空きが出る。そこに私が収まってしまえば、研究室探しも終わりだ。結論から言ってしまうと、そここそが私が所属するドイツアーヘン工科大学の研究室になる。課長、部長の勧めも私の背中を押してくれた。部長を引き連れて開発部長へアーヘン工科大学を候補として考えている旨を告げたことは今でも覚えている。とっつきにくい性格の開発部長への説明は本当に緊張をする。前任者の先輩(以下、Y先輩)もお世話になっている研究室なので、開発部長からはすぐにOKを貰えた。次は研究室の教授へ受け入れてもらえるか連絡を取らなければならない。

研究室の情報収集

 先にも記したが、教授へのコンタクトや受け入れについては、基本的に自分で行わなければならない。私も例外ではなかった。ただ私の場合、前任者のY先輩がいたのでY先輩を介して教授(以下、D教授)へ一報を入れてもらうことができた。そしてY先輩を通して研究室の情報やドイツでの生活の話を沢山聞くことができた。これは非常に助かった。なんでもD教授は研究室を一つではなく、二つ持っており、当然ながら研究対象が異なる二つの研究室だ。研究テーマによって研究室も変わってくる。どうしようか考えていたところ、部長からある提案をされる。アーヘン工科大学の研究室訪問に合わせて、偶然にもアーヘンで開かれる国際学会へ、自社製品のプロモーションも兼ねて発表することだ。

 学生が学会で発表する目的と会社の社員が発表する目的、大きな違いは自社製品のプロモーションがメインということ。会社は技術漏洩を危惧し、製品化の目途がついていない試作品に適用されている技術の話は学会で一切することがない。発表する自社製品の開発には私も関わっているとはいえ、製品の一部品を担当しているわけで、製品全体について詳しく知っている訳ではなかったので、学会で発表するまでに製品の全てについて把握しなければならなかった。研究室訪問のための準備、普段の業務に加えて、国際学会の発表準備もしなければならない、何ともタフな期間を過ごした。

ドイツ アーヘンへ飛ぶ

 国際学会の準備をし、いよいよドイツアーヘンへ渡独。アーヘンは治安が良いと聞いているが、それでも外国、日本で過ごすように気を抜いてはいけない。フランクフルト空港からアーヘン行きのICE(新幹線のような鉄道)に乗り、アーヘンへ無事到着。アーヘン中央駅から学会の会場になっているホテルへは約1.8 kmあるので、スーツケースを持っている私はバスかタクシーに乗るべきだったが、タクシーでぼったくりにあったらどうしようだとか、バスの乗り方や路線も分からず不安が多かったので、なんとGoogle Mapを頼りに歩くことにした。30分以上歩いてやっとホテルに到着した。でも無事に到着してよかった。

会場となったホテル。

 この国際学会に参加して分かったことだが、この学会のホストをサポートしているのが、お世話になろうとしている研究室のD教授で、D教授の研究所の一部も別のセッションを行う場所として使用されていた。そしてD教授の研究室のほとんどの学生も学会に参加しつつ、学会のお手伝い人員として駆り出されていたのだった。つまり、D教授への挨拶や研究室訪問、そしてこれからよく付き合うであろう学生達と顔を合わせることが一度にできたのだ。

 口頭での発表も何とか無事に終え、学会最終日のバンケット(と呼べるか怪しいけれど、立食スタイルの食事)でD教授と無事に研究テーマについての話をする機会を頂き、そして研究室の受け入れの承諾を頂けた。

 慣れない異国の地で製品の発表や自身の研究テーマについて相談することは大変だったが、何とかやり遂げることができ、達成感を感じながら日本へと戻った。